先日伊賀鉄道生え抜き5181形電車の動画や画像をご紹介したのに続いて、1977(昭和52)年車両入替前の他の車両や入替後の車両の8mmフィルムをMP4化しましたので、画像とともにアップロードします。YouTube動画のBGMは、伊賀線のテーマソングと言うべき「上野市(うえのまち)」のレコードB面に収録されていた西岡たかしさんの「花と空に……」にしています。
〔入替前の車両形式〕
5251形(信貴山電鉄出身)
5201形、5360形(伊勢電気鉄道出身)
〔入替後の車両形式〕
5000形、5100形(近鉄名古屋線出身)
【近鉄伊賀線電車 YouTube動画(3分59秒)↓】
※0:00~1:07が入替前の車両、1:08~3:59が入替後の車両です。
【近鉄伊賀線電車 画像↓】
〔入替前の車両形式〕5251形(信貴山電鉄出身)、5201形、5360形(伊勢電気鉄道出身)
名張市の和菓子で私の一番のお気に入りは、この「なばり饅頭」(税込1個120円)。
近鉄名張駅西口にある賛急屋(さんきゅうや)さんの商品です。
同店は、昭和5年(1930年)創業という老舗で、私が子どもの頃(昭和40年代)には、祖父が名張へ行ったときのお土産によく買ってきていました。
そのまま食べても薄皮とあっさりした餡がマッチしてとても美味しいのですが、天ぷらにして揚げ饅頭としたものも絶妙な味だった記憶があります。揚げ饅頭が好きな関東の人にぜひ紹介したい逸品です。
今日(2021.3.15)は珍しく昼頃に名古屋向きで名阪国道(国道25号自動車専用道路)伊賀インターチェンジに近づいたので、その西側にある伊賀サービスエリア(上り線)で昼食にしました。
選んだのは、チャーシュー丼+きしめんの日替わり定食830円。
伊賀インターチェンジの南東すぐのところにある伊賀ドライブインが大阪的であるのに対して、こちらは「きしめん」や「みそかつ」など名古屋的です。
チャーシュー丼もきしめんも量があって、美味しくて、満足できました。
8mmフィルムで撮影したものの中に、国鉄の列車を被写体としたものがいくつかあったので、まとめてYouTubeにアップロードしてみました。
※ご指摘をいただきましたので、次のとおり動画内のテロップをお詫びして訂正します。
0分00秒~0分43秒 (正)草津線 ← (誤)関西本線 伊賀上野付近
1分22秒~1分42秒 (正)草津線 ← (誤)関西本線 伊賀上野付近
時期は、1977年(昭和52年)から1979年(昭和54年)にかけてと推測しています。
後半の草津線のところで、貨車や客車を牽引しているのは、今年(2021年)3月のダイヤ改正で定期運用から引退となったDD51形ディーゼル機関車と思われます。
今日(2021.3.13)から、関西本線の加茂駅(京都府)~亀山駅(三重県)間でICOCA(イコカ)が利用できるようになりました。
ICOCA(イコカ)は、きっぷや現金なしで鉄道やバスに乗れるというだけでなく、いろいろな店で電子マネーとしても使えるもの。
今日の新聞折込でそのあたりの点を解説したJR西日本のチラシが入っていましたので、次に掲げておきます。
入金(チャージ)については、以前私は知識不足で柘植駅で失敗しましたが、コンビニのセブンイレブン、ファミリーマート、ローソンでも可能ということです。
ICOCA(イコカ)自体は、関西本線では伊賀上野駅と加茂駅で購入できるそうです。
伊賀市役所も、関西本線利用促進の観点からICOCAの普及に力を入れているらしく、このチラシなどともに次画像の記念手ぬぐいを市内の大規模店舗前で配布していました。
近鉄5181形電車は、大正15年(1926年)から昭和52年(1977年)まで51年間にわたって伊賀線だけで走り続けた車両です。
昭和52年(1977年)頃に撮影した8mmフィルムの中に、いくつかこの車両の映像がありましたので、YouTubeにアップロードしました。それが次の動画です。
BGMは、上野高校へ通学していた平井堅さんが伊賀線電車の車内の情景から閃いたとされる「片方ずつのイヤフォン」かとも思いましたが、やはり伊賀線に関する曲の王道である西岡たかしさんの「上野市(うえのまち)」(1975年8月発売のシングルレコード)にしました。
【YouTube動画(4分34秒)↓】
また、鉄道ファンという雑誌で伊賀線が特集された記事がありましたので、その一部を次に掲げておきます。
【鉄道ファン1975年2月号 伊賀線特集記事の一部↓】
この車両が運行されていたのは、乗客もまだ多かった時期で、古き良き時代であったと感慨深いものがありますね。
先日デジタル(MP4)に変換した8mmフィルムの中に、昭和52年(1977年)頃に撮影した伊賀線電車3両編成の映像がありましたので、YouTubeに掲載してみました。撮影場所は西大手駅~新居駅の間で、前半は高旗山を背景に伊賀上野へ向かう均整のとれた姿、後半は反対方向の上野城へ向かって服部川橋梁を渡る雄姿です。
【YouTube動画↓】
このころは、国鉄関西本線から伊賀上野駅乗換で旧上野市内の高校(上野高校、上野工業高校、上野商業高校、上野農業高校)へ通学する高校生の乗客も多かったため、伊賀上野駅~上野市駅の区間で、3両編成の電車が運行されていました。(現 伊賀鉄道では2両編成のみです )
この近鉄5181形電車は、大正15年(1926年)から昭和52年(1977年)まで51年間にわたって伊賀線だけで走り続けた車両で、1両だけでも複数車両を連結しても運行できるユーティリティプレーヤーでした。
【3両編成の画像↓】
【5181形引退記念カード↓】
【5181形引退時の新聞記事↓】