書籍・雑誌

2020年6月 5日 (金)

宮本武蔵に勝った荒木又右衛門(立川文庫・寛永御前試合)

 『剣法名誉侠客倚人鑑』という番付で、西大関の宮本武蔵の上を行く東大関の荒木又右衛門(あらきまたえもん)。「荒木の前に荒木なく、荒木の後に荒木なし」と謳われる傑出した剣士です。それほどまでに庶民の人気を集めていたのを示すのが、立川文庫(たつかわぶんこ)「寛永御前試合」で描かれている宮本武蔵との一戦。講談の上でのことではありますが、宮本武蔵が生涯で勝てなかったのはこの試合だけとされています。

 この講談本におけるこの試合の部分を抜き出すと、次のようになります。

「第三番に立ちいでたるは、神面(しんめん)二刀流の元祖 宮本武蔵、及び荒木又右衛門吉村との試合、だんだん勝負は面白くなってくる。

ところで、この武蔵と又右衛門との履歴については、ずいぶん面白いところがたくさんあるが、立川文庫第四編において、伊賀水月荒木又右衛門、同第九編に、豪傑宮本武蔵と題し、詳細弁じつくしてあるから、ここには両人の伝記を略することにする。

両豪傑は悠然として庭前へ進み出る。将軍始め一同は、これぞ当日の書入れ勝負と、固唾を呑んで肩肘いからせ、瞬きもせず見物する。両人はかねて懇意の間柄ゆえ、丁寧に会釈をなし、荒木又右衛門は二尺三寸の木剣(ぼっけん)、宮本武蔵は例の右剣左剣を携え、行司の軍配引くとともに、東西に立ち分かれ、荒木は中段、武蔵は右剣左剣を天地に構え、エイヤッと互いに睨み合ったるその有様、どこに一点鵜の毛で突いたほどの隙もない。

何しろ天下無双の豪傑同士、エイヤッと気合を掛け合うことおよそ一時ばかり、双方呼吸を計っていたが、かくては果てじと荒木又右衛門、エイと激しく打ち込む木剣、武蔵は右剣でガッキと受け留め、左剣は早くも又右衛門の小手をねらって打ち掛かる、又右衛門もさるもの、ハッシと打ち払い、打てば開き開けば付け入り、千変万化虚に実に、荒木に鬼神の勢いあれば、宮本は又摩利支天を示し、その早きこと電光石火、互いに負けず劣らず、ここを先途と闘ったが、今しも又右衛門がエイと大喝諸共に、打ち込んだる鋭き太刀先き、武蔵は十字にカッキと受けたが、あまり打ち込みようが激しかったものだから、図らず十字の構えが破れ、右剣を思わず打ち落とした、シテ遣ったりと又右衛門、畳み掛けて斬りこむ勢い、宮本武蔵はしまったりと、一足後に飛びすさり、左剣を右手に持ち替えるが早いか、カッキと又右衛門の太刀を受け留めておいて、(武蔵)「参った…」、又右衛門も後へ飛び下がり、(又右衛門)「イヤ、怪我の功名、とても我々の及ぶところにあらず、」(武蔵)「イヤイヤ、恐れ入ったるお腕前、それがしの及ぶところにあらず」と、互いに挨拶をする。

見物はただもう酔えるがごとく、ワアワアと喝采の声は殿中もために揺るがんばかり。これは荒木又右衛門が無論十字の構えを破ったから勝ちになったのではあるが、両刀あればこそ武蔵も豪(えら)いが、一本同士になっては到底荒木には敵わない、しかし武蔵もナカナカ豪いところがある、咄嗟の場所にでも、武術のたしなみを忘れず左剣を右手に持ち替えて受け留めたという、余人ではできない働きであると、小野治郎右衛門は将軍 家光公の前に出で説明して、居る一同も成程と合点して、「さすがは天下名代の豪傑同士、見て居ても骨が折れる」と、感ぜぬものは一人もなかった。」

 当時、荒木又右衛門は30歳台半ば、宮本は50歳前後で、歳は少し離れていますが、この一節を読んで、二人がよきライバルであったことが窺われる名勝負だと感じます。


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2020年4月24日 (金)

講談「荒木又右衛門(あらきまたえもん)」

 伊賀市荒木に生まれた荒木又右衛門は、江戸時代ナンバーワンの剣士で、吉川英治氏の創作小説である「宮本武蔵」が世に出るまでは、その地位は不動のものであったと思われます。

 そのことは、丸谷才一氏が「食通知ったかぶり」で紹介している『剣法名与侠客倚人鑑』という番付において、宮本武蔵が西の大関であるのに対し、荒木又右衛門は東の大関とされ、最上位に位置づけられていたことでもわかります。

 この伊賀が誇る剣豪 荒木又右衛門の鍵屋の辻での三十六人斬りが講談でどのように扱われているのか関心があったので、その講談本をヤフオクで購入してみました。昭和33年(1958年)3月に東京ゆうかり書房が発行した「長篇講談 剣豪列伝集 荒木又右衛門」というもの。クライマックスとなる「仇討本懐」の部分は末尾に掲げました。

 「斯くて又右衛門は斬りも斬ったり三十餘人、手當り次第に斬捨てましたから、全身返り血を浴びて悪鬼の如き有様でございます。」など迫力ある表現で、惹きつけられるものがあります。

 平成18年(2006年)に三重県伊賀県民センター主催により旧崇広堂旭堂南青さん(現 旭堂南龍さん)の講談が短縮版で行われ、その気迫のこもった語りを目の当たりにして感銘を受けた憶えがありますが、一度全篇を鑑賞してみたいものです。

 一方で、三十六人斬りが誇張であるとの夢のない説明があるのは残念な限り。元々三十六は多数、大勢という意味合いで使われうる数字であるので、そんな些細なことに着目するのでなく、味方よりはるかに多い人数(しかもその中には川合甚左衛門、櫻井半兵衛という当代一流の武芸者がいる)の敵に敢然と立ち向かった勇気に対し喝采を送るのが自然な反応です。そして、このことがヒーローとして尊崇され続ける所以であると思います。

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2020年3月26日 (木)

孤愁の岸(杉本苑子さんの小説)

 講談社発行の日本歴史文学館19で、世阿弥の生涯を描いた「華の碑文」とカップリングされているのが「孤愁(こしゅう)の岸」。感動的な作品です。

 これは1754年(宝暦4年)から1755年(宝暦5年)にかけて、愛知・岐阜・三重の境にあたる木曽三川地域で行われた薩摩藩による治水事業を題材としたもので、総奉行を務めた平田靭負(ひらたゆきえ)以下の薩摩藩士の苛酷な運命と無念が詳らかに描かれています。

 この治水事業は、外様であった薩摩藩の力を恐れた幕府が、40万両(今の金額にすると300億円ぐらいらしい)という莫大な費用のかかるとてつもない難工事を薩摩藩のみに押し付け、その力を削ぐことを目的としたものでした。

 この薩摩藩士の方々のおかげで濃尾平野の治水が進みはしましたが、そのための犠牲は、51名が自害、33名が病死、さらには工事完了後に総奉行も切腹というように、あまりにも大きかったということです。

 全く知らない土地の人々のために大変な苦労をした薩摩藩士の方々に対して、感謝の気持ちを忘れてはいけないなと思いました。


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2020年3月22日 (日)

華の碑文(杉本苑子さんの小説)

 「華の碑文」は、伊賀が誇る能の大成者 世阿弥(ぜあみ)の生涯を、弟にあたる観世四郎元仲の目を通して描いた杉本苑子さんの小説で、伊賀で発見された上嶋文書に重きが置かれているもの。

 そのことは、講談社発行の日本歴史文学館19での渡辺保氏との対談における杉本苑子さんの次の発言に明確に示されています。

「ただ単に足利氏の興隆、あるいは消長にしたがって、一芸能人としての世阿弥の運命が翻弄されたというのならば、そういうことはよくあった例ですよ。歌舞伎役者や相撲とり、遊女、芸妓などが、パトロンの旦那の繁盛や歿落で、よい目を見る悪い目を見るなどということは、いくらでもあったことです。

 世阿弥の場合、単にそういうことですまなかったのは何か。そのキーポイントとしてクローズアップされてくるのが、彼の体内に流れていた楠氏の血ですね。南朝方で大いにゲリラ活動をやって北朝の武将たちの心胆を寒からしめた楠氏。しかも合一の機運が高まると、次は裏方にまわって両朝の間に介在し、和合のために働いた楠氏。いろいろな意味でゲリラ的な動きを見せた楠氏の血を受けていたという事実は、分裂の世紀においてはただならぬ宿命を背負わされたことにほかなりません。この点を見据えないと、世阿弥、あるいは観世家のほんとうの姿は解明されてこないのではないかと思います。

 この意味から、上島文書は非常に貴重な、重要な文書として位置づけられる・・・」

  以前のブログでふれた、観阿弥・世阿弥は楠木正成の血族という産経新聞の記事と同様、杉本苑子さんからも上嶋文書は高く評価されているのであり、こうした背景のもとにこの小説を読むことで、世阿弥の能に対する厳しさ、複雑系の流れを少しは感じ取ることができたように思います。

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【世阿弥公園(伊賀市守田町)にある世阿弥の母像(2009年9月撮影)↓】
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2020年3月 6日 (金)

書籍「【新訳】営業は断られた時から始まる」

 この書籍「【新訳】営業は断られた時から始まる The Sale Begins When the Customer Says No」は、アメリカの営業の巨匠エルマー G.レターマン Elmer G.Letermanによって1953年に書かれたもの。

 これほど前の書籍にもかかわらず、営業活動を進めるにあたって今も通用することが数多く示されており、参考になります。

 「人間とは妙なもので、一度ある品物を買ったり、契約をしたりすると、よい買い物をした、よい契約をしたと思いたがるものだ。」と、心理学でいう認知的不協和にも触れられています。

 なかでも、私が重要だなと思うのは「買い手の立場から考えてみて、望ましい品であることを確信しないかぎり、営業の仕事に価値はない。」との一文で、このことは通常の営業の範囲を超えて、様々な交渉の場(具体例として、3校の大学の合併問題が取り上げられています)においても意識しないといけないことだなと感じ入りました。


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2019年1月 1日 (火)

2018年大晦日の日経新聞

 20181231日付けの日経新聞で、印象に残ったことが二つありました。

 

 ひとつは、1面の「春秋というコラム記事。太宰治の「貧の意地」(新釈諸国噺の中の一編)という小説における市井の人々の心意気と対比して、名前は出していないもののカルロス・ゴーン氏のような「富める者の意地きたなさ」を批判する内容となっており、共感いたしました。


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 私は、経営が危うくなった日産において、同氏がコストカットと新機軸の導入に当たりコミットメントcommitment(必達目標)を掲げて立て直したのは大変なことだと思い、自分の仕事でもコミットメントという用語を使ったりしていました。


こうした手法自体は否定できないことですが、私腹を肥やすのに専心するのは日本の文化の中では全く受け入れられないことかと思います。一番問題だったのは自らに都合の悪いことを隠そうとした点で、情報公開の時代にありえないことと感じています。

 


 もうひとつは、経営の視点「キリン変えたP&G流」で取り上げられたキリンビール山形マーケティング部長(P&Gから転身)の次のコメントです。


 「着任したとき、(横軸と縦軸で商品のブランドポジションを考察する)四象限マトリックスを使っていたことに驚いた。あんなやり方絶滅していたと思ったのに」


 ポジショニングというのは、マーケティングの教科書的に言えば、「顧客の頭の中に自社製品を特別の価値を有するものとして位置づけられるようにするための活動」であって、競合製品との差別化のために四象限の図で考えるのは有効と考えていたので、このコメントはショックです。


 時代は常に動いていることを認識するともに、P&Gのマーケティングを勉強してみたいと思いました。



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2018年1月 7日 (日)

移住先としての名張市

 先に、(株)宝島社『田舎暮らしの本』2月号(平成3014日発売)の2018年版全国12エリア別「住みたい田舎」ベストランキングで、伊賀市がランクインしたことを紹介しましたが、今日(2018.1.7)の中日新聞伊賀版に名張市もランキングに入っていることが記事化されていましたので、この雑誌を買ってきました。

 

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これによると、名張市はシニア世代が住みたい田舎部門において東海エリア(静岡・愛知・岐阜・三重)の第4位に入ったということです。

 

名張市の強みは何と言っても大阪鶴橋まで近鉄の快速急行で1時間程度(近鉄特急なら最短49分)という大都市への近接性です。

朝の通勤時間帯には、10両編成の快速急行が916分間隔で名張駅から大阪に向かって走っており、通勤も普通に可能なところですから、大阪中心部と名張市との二地域居住の容易性が大都市の方々にアピールするのではないでしょうか。

 

それに加えて平井堅さんの「桔梗が丘」という名曲に表現されている良好な居住環境、また、名張(名墾)の横河までは畿内であった※という地域の歴史的な価値も強みとして挙げられます。

646年の大化改新詔(たいかのかいしんみことのり)において「凡そ畿内(うちつくに)は、東は名墾(なばり)の横河(よこかは)より以来(このかた)、南は紀伊の兄山(せのやま)より以来、(兄、此をば制()と云()ふ)、西は赤石(あかし)の櫛淵(くしふち)より以来、北は近江(あふみ)の狭狭波(ささなみ)の合坂(あふさか)山より以来を、畿内国とす。」とされています。(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説から)

 

さらに、伊賀市と同様 内陸部にあるため、地震の際に津波のおそれがないという優位性により、個人の移住だけでなく、BCPBusiness Continuity Plan;事業継続計画)に基づく企業の代替拠点立地も期待できるところです。

 

同じ雑誌の愛読者に対するアンケートでは、最新の2017年調査で三重県が初めて「移住したい都道府県ランキング」のベストテンに入っており、大阪・名古屋から近くて、かつ日常生活に大きな不便がない三重県が徐々に評価されてきたのかなと思っています。

 

【東海エリア ランキング(2018年版全国12エリア別「住みたい田舎」ベストランキング)↓】

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【「移住したい都道府県」ランキング(愛読者向けアンケート調査結果)↓】

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2017年10月16日 (月)

変わった本の選び方

 今日(2017.10.16)の朝日新聞「天声人語」で、変わった本の選び方が紹介されていました。

 作家の川上未映子さんは、書店にある岩波文庫の棚の前に立って目をつぶり、手を伸ばして指先に触れた最初の本を必ず読み切る。それが「自分の知らない何かに出合う」「自分の意識からの束の間の自由を味わってみる」ことにつながるのだそうです。

 

 このコラムを読んで、私が即座に思い出したのは、成毛眞氏の「本は10冊同時に読め!という書籍。一度にジャンルの違う本を10冊ほど同時に読むのがいいという提案がなされています。そうすることで、より独創的なアイデアが生み出されるなどの効果があるとの論旨だったと思います。

 

 何事でもそうですが、自らの業界の中のみで凝り固まって考えていてはなかなか変わったことを創造し得ないでしょうし、思いもつかないような工夫や改善も他の多くの業界から取り入れることが重要なのでしょう。

 こうした視点をもって、10冊同時とはいかないまでも、選り好みせずに様々な本を読んでいくようにしたいものです。
 
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2017年9月10日 (日)

「破天荒」の意味

 「破天荒(はてんこう)」というと、今、日常的に使う用語の意味としては、「とてつもなく変わったこと」「他の人が思いつきもしない斬新なこと」「常識から外れていて今まで全く考えもしなかったこと」「前代未聞のとっぴな発想をすること」のような感じで、私としては、かつて経営戦略の研修などで聞いたアメリカのLCC(格安航空会社)サウスウエスト航空の話を思い出します。

 

 サウスウエスト航空でよく知られる逸話は、航空機の機体の遊休時間が長いのを何とか無駄なく効率的に使う方法はないかと考えたときに、全く関係のない業界である自動車レース・インディ500のピットクルーの動きを研究して、それを航空機の運用に生かしたというもの。新しいことを創造するには、自らの業界でなく別の業界のやり方を研究することが大切だと教えられる話です。その他にも、サウスウエスト航空は、人目を引く奇抜な制服、コミカルな機内放送、ハーレーダビッドソンで登場するCEOなど様々な異色の取組みを展開していて、そのあたりのことは「破天荒!サウスウエスト航空―驚愕の経営」という書籍で詳述されています。

 

 このサウスウエスト航空のようなことが、今「破天荒」と表現されるわけですが、その語源はもう少し深い意味があるようで、本日(2017.9.10)付けの日経新聞「遊遊 漢字学」というコラムで解説されていました。

 

 それによると、「中国で草木一本も生えない土地を「天荒」と呼び、そのことばは優れた人材が出現しない土地のたとえとしても使われていた。敦煌を含む今の甘粛省(かんしゅくしょう)一帯はかつてそうした「天荒」の地とされていたところ、ある年、その地出身の劉蛻(りゅうぜい)という男が科挙の本試験に優秀な成績で合格した。人々は彼の快挙を「天荒」の地からもついにそれを破る男が現れたとの驚きをもって「破天荒」と呼んだ。」「破天荒とは、慢性的に低劣あるいは粗悪だった状態をうちやぶり、画期的なまでに高尚あるいは優秀な状態を出現させることをいう成語である。」ということです。

 

 こうした深い意味があることを知らず、簡単に破天荒と言ってしまっていますが、この解説を読んだときに、今 全国的に疲弊している地方にとって、まさに求められているのがこの「破天荒」であると思いました。そのためのヒントは、異なる分野における様々な変わった取組みであり、それらを組み合わせていくことかなと勝手に考えています。
 
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2017年5月12日 (金)

アジアとヨーロッパの境界線は?

 このテーマは、2017年4月発行のHRI(百五経済研究所)レポートに掲載されていたもの。
 作家の守屋淳さん執筆の「経営に活かす中国古典の教え 名経営者の共通点」の中で、取り上げられています。

 アジアとヨーロッパの境界は何となくイメージできるものの、実際の境界はけっこう複雑です。
 たとえば、ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版2009では、アジアについて次のように解説され、一本の線でアジアとヨーロッパを分けられることが示されています。

ユーラシア大陸の東過半分と付属島から成り、南緯10°から北は北極海にまで広がる地域。東は太平洋、南はインド洋にのぞみ、西はウラル山脈ウラル川カスピ海大カフカズ山脈黒海イスタンブール海峡(ボスポラス海峡)チャナッカレ海峡を結ぶ線でヨーロッパに接し…」

 ここで、守屋さんが特に主張されているのは、言葉の意味を大事にせよということです。アジアと言っても、上記の広いアジアではなく、旧ソ連部分を除いたり、東アジア・東南アジアぐらいに限定したりする人もいて、自ら考える範囲と他の人が考える範囲が同じとは限りません。

 したがって、難しい言葉は辞書で確認するからよいわけですが、わかっているつもりで実はわかっていないような言葉(たとえば、マーケティング、コンプライアンス、コミットメントみたいなもの。カタカナ語が多いのでしょうか)には十分注意を払い、話し合う前にその意味をきちんと共有しておく必要があるということです。
 名経営者の方々は、言葉の遣い方を厳格にされているそうです。

 私がよく見かけるこうした例として「地域」という言葉があります。「地域振興」「地域活性化」「地域づくり」「地域社会」「地域福祉」「過疎地域」「地域開発」など様々な場面で「地域」という用語が遣われますが、その「地域」というのが集落単位なのか、市町村・都道府県単位なのか、一国レベルなのか、過疎地域のように同質の性格をもつ範囲を集合したものを指すのか、人によって、その場によって解釈がばらばらのおそれがあります。安易に「地域」という言葉を使用するのは避けたほうががよいかもしれません。

 私も熟慮せずに、意味が曖昧な語句や定義が不明確なカタカナ語を遣ってしまっていることがあるので、反省しないといけないなと思っています。
 

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