書籍・雑誌

2020年12月21日 (月)

発想力の高め方

 以前 発明学会の方がコラムに書かれていたことで興味深かったのは、発想の源泉は「立腹」「アラ探し」「転用」にあるということです。常識的にはこの3つ、特に前の2つはマイナスの要素だろうと思いますが、発想という点だけから見れば大事なことのようです。

 たとえば、「立腹」。腹が立つには何か原因があるので、それを取り除く方法を考えることから発想が生まれるもの。例として「洗濯機の糸クズを取るネット」が上げられていました。発明者の方が夫婦喧嘩をしたときに、夫の靴下の糸クズ取りに腹が立ち、糸クズがつかないようにするにはどうしたらいいかを考え続けた結果、発明に至ったらしいです。

 同様に、「アラ探し」や「転用」の視点も重要で、欠点を克服したり、新たな使途を見出したりすることから、様々な発想が生じてくるという考え方です。

 日頃何気なく見ていることでも、こうした見方をしていくと、結構良いアイデアが生まれるのかもしれませんね。

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【↑出典:「いらすとや」さん】

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2020年11月25日 (水)

楳図(うめず)かずおさんのマンガ「半魚人」

 昭和40年(1965年)に週刊少年マガジンに連載された「半魚人(はんぎょじん)」というマンガは、私の心に強く残る恐怖作品です。

 この連載期であれば私は小学2年生で、まだ週刊少年マガジンを定期購読していなかったと考えられるので、おそらく翌年(1966年)の別冊少年マガジンで読んだのだろうと思います。

 その当時、少女マンガの「へび女」も怖かったですが、この半魚人には より強烈な印象が残りました。

 人類最後の日の到来に備えて、人を魚化する目的で 主人公の兄が主人公の友人に手術を施そうとする際、口や目をナイフで裂いていく場面がとても恐ろしく感じられたものです。

 うちにある復刻版 少年マガジン大全集 第2巻(不滅の黄金シリーズ編)にこの作品が収録されていて、これを久しぶりに読み返すと、小学生当時の怖い思い出が蘇ってきました。

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2020年10月24日 (土)

名張市出身の宮﨑優さんが週刊少年サンデーの表紙に

 伊賀タウン情報YOUに、名張市出身の女優 宮﨑優さんが、週刊少年サンデー202046号(10/28号)表紙にとの記事が出ていたので、同誌をAmazon kindle電子版で購入しました。

 週刊少年サンデーの表紙は、以前乃木坂46の白石麻衣さんが登場するなど有望な方が取り上げられるポジションで、画期的なこと。表紙に続くグラビアも、海辺の旅館の一人娘に扮した自然な姿がとてもよかったと思います。

 同誌によると宮﨑優さんは「CM・ドラマで注目度急上昇中!! 三重県出身のピュア女優」とされており、この期待に応えて今後も大いに活躍してほしいものです。

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2020年10月18日 (日)

自然治癒力と免疫力

 先日の週刊朝日(2020.9.4)で読んだ内容ですが、自然治癒力と免疫力は別物ということです。

 何が違うかというと、前者は自分の体の中で生じた不具合に対応する力であるのに対して、後者は外部から入ってきた病原体などに働く力という区別になっています。

 今 問題になっている新型コロナウイルスに対して働くのは免疫力のほうで、これを高めるのに効く食べ物はこういうものだなどと関心が高まっているわけです。

 私は傷ができたときの治りが遅いので、自然治癒力が低いのだろうと思いますが、このことで免疫力も低いのではと誤解して考えていました。

 なので、自然治癒力は今後の研究の進展を待つとして、当面はどの程度のレベルかわからない自身の免疫力を高めるため、それに寄与するものを食事に取り入れ、新型コロナウイルスに負けないようにしようかなと思います。

 具体的には、昔から風邪をひいたときによく食べていた梅干しや梅肉エキス、にんにくなどを考えています。(科学的には未検証ですが、和歌山県の梅の産地では、毎日梅肉エキスを料理に使っているため、病気になりにくいと聞いたことがあります)
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【↑出典:「いらすとや」さん】

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2020年9月 3日 (木)

マンガ「恐怖新聞」

 深夜ドラマで実写版の「恐怖新聞」20208月~全7話の予定)が放映されています。今回のテレビドラマは主人公が女子大生に代わっているとのことで、どんな展開になるのか私には想像もつきませんが、これをきっかけにマンガのほうの恐怖新聞が思い起こされました。

 そこで、この比類なき恐怖コミックの名作を探してきて、記憶をたどってみました。

 このマンガは週刊少年チャンピオンに連載されていた つのだじろう氏の作品で、怖がりながらも夢中で読んでいたように思います。私が小学生ぐらいのときかと思っていたのですが、今 連載時期を調べてみると1973年~1975年となっているので、高校生のときのものとわかりました。記憶というのは曖昧なものです。

 この作品の肝は「普通の人には読むことができない恐怖新聞というのを1回読むごとに命が100日縮まる」というところで、この新聞で知らされる事件の真相や予言めいたことを軸に、主人公である男子中学生 鬼形礼(きがた れい)の様々な恐怖体験が描かれています。

 その中でも、私が印象に残っているのが「名投手怪死(真言ののろいがえしの術)」というエピソード。プロ野球の東京ギャランツで不遇な扱いを受けたピッチャーが自殺し、その妻が丑の刻まいりによって、間接的にせよ夫の自殺の原因を作った同球団の選手に復讐しようとした物語になっています。最後に真言ののろいがえし(鬼形礼はこれを丑の刻まいりの呪いを解く方法と思っていた)を受けて丑の刻まいりが無力化され、復讐を目論んだ妻のほうが打球を受けて死んでしまうという終局を迎えます。丑の刻まいりで死ぬべき悪者が生き残った理不尽さに憤りを覚えたものでした。

 また、マンガの最終話も大変深い内容で、鬼形礼が厳しい選択を求められ、悲しい結末に導かれたのが 心に残っています。

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2020年6月 5日 (金)

宮本武蔵に勝った荒木又右衛門(立川文庫・寛永御前試合)

 『剣法名誉侠客倚人鑑』という番付で、西大関の宮本武蔵の上を行く東大関の荒木又右衛門(あらきまたえもん)。「荒木の前に荒木なく、荒木の後に荒木なし」と謳われる傑出した剣士です。それほどまでに庶民の人気を集めていたのを示すのが、立川文庫(たつかわぶんこ)「寛永御前試合」で描かれている宮本武蔵との一戦。講談の上でのことではありますが、宮本武蔵が生涯で勝てなかったのはこの試合だけとされています。

 この講談本におけるこの試合の部分を抜き出すと、次のようになります。

「第三番に立ちいでたるは、神面(しんめん)二刀流の元祖 宮本武蔵、及び荒木又右衛門吉村との試合、だんだん勝負は面白くなってくる。

ところで、この武蔵と又右衛門との履歴については、ずいぶん面白いところがたくさんあるが、立川文庫第四編において、伊賀水月荒木又右衛門、同第九編に、豪傑宮本武蔵と題し、詳細弁じつくしてあるから、ここには両人の伝記を略することにする。

両豪傑は悠然として庭前へ進み出る。将軍始め一同は、これぞ当日の書入れ勝負と、固唾を呑んで肩肘いからせ、瞬きもせず見物する。両人はかねて懇意の間柄ゆえ、丁寧に会釈をなし、荒木又右衛門は二尺三寸の木剣(ぼっけん)、宮本武蔵は例の右剣左剣を携え、行司の軍配引くとともに、東西に立ち分かれ、荒木は中段、武蔵は右剣左剣を天地に構え、エイヤッと互いに睨み合ったるその有様、どこに一点鵜の毛で突いたほどの隙もない。

何しろ天下無双の豪傑同士、エイヤッと気合を掛け合うことおよそ一時ばかり、双方呼吸を計っていたが、かくては果てじと荒木又右衛門、エイと激しく打ち込む木剣、武蔵は右剣でガッキと受け留め、左剣は早くも又右衛門の小手をねらって打ち掛かる、又右衛門もさるもの、ハッシと打ち払い、打てば開き開けば付け入り、千変万化虚に実に、荒木に鬼神の勢いあれば、宮本は又摩利支天を示し、その早きこと電光石火、互いに負けず劣らず、ここを先途と闘ったが、今しも又右衛門がエイと大喝諸共に、打ち込んだる鋭き太刀先き、武蔵は十字にカッキと受けたが、あまり打ち込みようが激しかったものだから、図らず十字の構えが破れ、右剣を思わず打ち落とした、シテ遣ったりと又右衛門、畳み掛けて斬りこむ勢い、宮本武蔵はしまったりと、一足後に飛びすさり、左剣を右手に持ち替えるが早いか、カッキと又右衛門の太刀を受け留めておいて、(武蔵)「参った…」、又右衛門も後へ飛び下がり、(又右衛門)「イヤ、怪我の功名、とても我々の及ぶところにあらず、」(武蔵)「イヤイヤ、恐れ入ったるお腕前、それがしの及ぶところにあらず」と、互いに挨拶をする。

見物はただもう酔えるがごとく、ワアワアと喝采の声は殿中もために揺るがんばかり。これは荒木又右衛門が無論十字の構えを破ったから勝ちになったのではあるが、両刀あればこそ武蔵も豪(えら)いが、一本同士になっては到底荒木には敵わない、しかし武蔵もナカナカ豪いところがある、咄嗟の場所にでも、武術のたしなみを忘れず左剣を右手に持ち替えて受け留めたという、余人ではできない働きであると、小野治郎右衛門は将軍 家光公の前に出で説明して、居る一同も成程と合点して、「さすがは天下名代の豪傑同士、見て居ても骨が折れる」と、感ぜぬものは一人もなかった。」

 当時、荒木又右衛門は30歳台半ば、宮本は50歳前後で、歳は少し離れていますが、この一節を読んで、二人がよきライバルであったことが窺われる名勝負だと感じます。


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2020年4月24日 (金)

講談「荒木又右衛門(あらきまたえもん)」

 伊賀市荒木に生まれた荒木又右衛門は、江戸時代ナンバーワンの剣士で、吉川英治氏の創作小説である「宮本武蔵」が世に出るまでは、その地位は不動のものであったと思われます。

 そのことは、丸谷才一氏が「食通知ったかぶり」で紹介している『剣法名与侠客倚人鑑』という番付において、宮本武蔵が西の大関であるのに対し、荒木又右衛門は東の大関とされ、最上位に位置づけられていたことでもわかります。

 この伊賀が誇る剣豪 荒木又右衛門の鍵屋の辻での三十六人斬りが講談でどのように扱われているのか関心があったので、その講談本をヤフオクで購入してみました。昭和33年(1958年)3月に東京ゆうかり書房が発行した「長篇講談 剣豪列伝集 荒木又右衛門」というもの。クライマックスとなる「仇討本懐」の部分は末尾に掲げました。

 「斯くて又右衛門は斬りも斬ったり三十餘人、手當り次第に斬捨てましたから、全身返り血を浴びて悪鬼の如き有様でございます。」など迫力ある表現で、惹きつけられるものがあります。

 平成18年(2006年)に三重県伊賀県民センター主催により旧崇広堂旭堂南青さん(現 旭堂南龍さん)の講談が短縮版で行われ、その気迫のこもった語りを目の当たりにして感銘を受けた憶えがありますが、一度全篇を鑑賞してみたいものです。

 一方で、三十六人斬りが誇張であるとの夢のない説明があるのは残念な限り。元々三十六は多数、大勢という意味合いで使われうる数字であるので、そんな些細なことに着目するのでなく、味方よりはるかに多い人数(しかもその中には川合甚左衛門、櫻井半兵衛という当代一流の武芸者がいる)の敵に敢然と立ち向かった勇気に対し喝采を送るのが自然な反応です。そして、このことがヒーローとして尊崇され続ける所以であると思います。

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2020年3月26日 (木)

孤愁の岸(杉本苑子さんの小説)

 講談社発行の日本歴史文学館19で、世阿弥の生涯を描いた「華の碑文」とカップリングされているのが「孤愁(こしゅう)の岸」。感動的な作品です。

 これは1754年(宝暦4年)から1755年(宝暦5年)にかけて、愛知・岐阜・三重の境にあたる木曽三川地域で行われた薩摩藩による治水事業を題材としたもので、総奉行を務めた平田靭負(ひらたゆきえ)以下の薩摩藩士の苛酷な運命と無念が詳らかに描かれています。

 この治水事業は、外様であった薩摩藩の力を恐れた幕府が、40万両(今の金額にすると300億円ぐらいらしい)という莫大な費用のかかるとてつもない難工事を薩摩藩のみに押し付け、その力を削ぐことを目的としたものでした。

 この薩摩藩士の方々のおかげで濃尾平野の治水が進みはしましたが、そのための犠牲は、51名が自害、33名が病死、さらには工事完了後に総奉行も切腹というように、あまりにも大きかったということです。

 全く知らない土地の人々のために大変な苦労をした薩摩藩士の方々に対して、感謝の気持ちを忘れてはいけないなと思いました。


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2020年3月22日 (日)

華の碑文(杉本苑子さんの小説)

 「華の碑文」は、伊賀が誇る能の大成者 世阿弥(ぜあみ)の生涯を、弟にあたる観世四郎元仲の目を通して描いた杉本苑子さんの小説で、伊賀で発見された上嶋文書に重きが置かれているもの。

 そのことは、講談社発行の日本歴史文学館19での渡辺保氏との対談における杉本苑子さんの次の発言に明確に示されています。

「ただ単に足利氏の興隆、あるいは消長にしたがって、一芸能人としての世阿弥の運命が翻弄されたというのならば、そういうことはよくあった例ですよ。歌舞伎役者や相撲とり、遊女、芸妓などが、パトロンの旦那の繁盛や歿落で、よい目を見る悪い目を見るなどということは、いくらでもあったことです。

 世阿弥の場合、単にそういうことですまなかったのは何か。そのキーポイントとしてクローズアップされてくるのが、彼の体内に流れていた楠氏の血ですね。南朝方で大いにゲリラ活動をやって北朝の武将たちの心胆を寒からしめた楠氏。しかも合一の機運が高まると、次は裏方にまわって両朝の間に介在し、和合のために働いた楠氏。いろいろな意味でゲリラ的な動きを見せた楠氏の血を受けていたという事実は、分裂の世紀においてはただならぬ宿命を背負わされたことにほかなりません。この点を見据えないと、世阿弥、あるいは観世家のほんとうの姿は解明されてこないのではないかと思います。

 この意味から、上島文書は非常に貴重な、重要な文書として位置づけられる・・・」

  以前のブログでふれた、観阿弥・世阿弥は楠木正成の血族という産経新聞の記事と同様、杉本苑子さんからも上嶋文書は高く評価されているのであり、こうした背景のもとにこの小説を読むことで、世阿弥の能に対する厳しさ、複雑系の流れを少しは感じ取ることができたように思います。

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【世阿弥公園(伊賀市守田町)にある世阿弥の母像(2009年9月撮影)↓】
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2020年3月 6日 (金)

書籍「【新訳】営業は断られた時から始まる」

 この書籍「【新訳】営業は断られた時から始まる The Sale Begins When the Customer Says No」は、アメリカの営業の巨匠エルマー G.レターマン Elmer G.Letermanによって1953年に書かれたもの。

 これほど前の書籍にもかかわらず、営業活動を進めるにあたって今も通用することが数多く示されており、参考になります。

 「人間とは妙なもので、一度ある品物を買ったり、契約をしたりすると、よい買い物をした、よい契約をしたと思いたがるものだ。」と、心理学でいう認知的不協和にも触れられています。

 なかでも、私が重要だなと思うのは「買い手の立場から考えてみて、望ましい品であることを確信しないかぎり、営業の仕事に価値はない。」との一文で、このことは通常の営業の範囲を超えて、様々な交渉の場(具体例として、3校の大学の合併問題が取り上げられています)においても意識しないといけないことだなと感じ入りました。


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