文化・芸術

2020年9月14日 (月)

ビデオカメラ用に手ブレを抑えるジンバルを購入(俳聖殿 他 撮影)

 動画を撮るのにスマホやカメラでなくビデオカメラ(Panasonic HC-V480MS)を使っているのですが、腕が悪くて手ブレ補正がついているのにブレブレの動画ばかりになっています。

 これを少しでも解消しようと、ジンバル(スタビライザーと表現しているものもあります)のMOZA Mini-Pというのを買ってみました。Amazonの数量限定タイムセールで税込21,233円でした。

 ジンバル(gimbal)とは1つの軸を中心に物体を回転させる回転台のことで、動画を撮影するときに手ブレを抑制する機材を意味するようです。

 これにビデオカメラを取り付けるのがなかなかむずかしく(ビデオカメラは三脚取り付け穴が前の方にあり、そのままジンバルに付けるとビデオカメラの後ろがジンバルのアームに当たるため、取り付け穴を後部へもってくるためのブラケットという器具が必要になりました)、しかも取り付け後のバランス調整も容易ではなさそうなので、いったいどれぐらい時間と手間がかかるのかと不安に思っていましたが、何とか設定を完了。

 次に、MOZA Masterというスマホアプリでモーター設定のオートチューニングを行い、ようやく使える状態までもってきました。

 取りあえず試しに伊賀市上野丸之内にある上野公園へ行って、松尾芭蕉の旅姿を象った俳聖殿や、大阪城と並んで日本一の高さを誇る伊賀上野城高石垣を撮影してみたところ、まずまず手ブレが防げているようなので、今後はこれをしっかり使っていこうと思っています。

【ジンバルを使って撮影した俳聖殿などのYouTube動画↓】

【ビデオカメラを取り付けたジンバル MOZA Mini-P↓】

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2020年8月17日 (月)

淀川遡航終点(三重県伊賀市 長田川の畔)

 伊賀地域(伊賀市・名張市)の水は、99%以上が木津川、淀川を通じて大阪湾へ流れます。

 この水の流れを生かして、かつて大阪・京都と結ぶ水運が行われていた時代があり、伊賀から米・茶など、大阪から伊賀へ塩が運ばれていたようです。

 それを今に伝えるのが、伊賀市・長田川の畔にある淀川遡航(よどがわそこう)終点碑。豊国工業 三重工場さんの横にあります。※hana@kuroさんのブログ記事に刺激を受けて、現地へ行ってみました。

 京都の商人 角倉(すみのくら)家により、底が平たく浅い高瀬舟を利用してこの地点まで通船が行われたのは19世紀前半のこと。1854年の安政伊賀上野地震の際に岩倉峡に落石があり、運航不能となったため、終焉を迎えたものです。

 現代において川を使う物流は考えられませんが、伊賀地域の観光で水に関するコンテンツは少ないので、熊野川の三反帆(さんだんぼ)のように高瀬舟的なものを甦らせて観光に使えるといいなと思います。

   淀川遡航終点碑の位置

【長田川通船の図(出典:「秘蔵の国(福永正三著)」↓】

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【淀川遡航終点碑↓】

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 次のYouTube動画は、この終点碑を中心に、高石垣で知られる上野城、滋賀県との境に聳える高旗山、天正伊賀の乱で伊賀勢が最後に立て籠もった比自山などを撮影したものです。

【終点碑の地点から望む上野城↓】

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【終点碑の地点から望む高旗山↓】

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2020年6月14日 (日)

人間国宝 一龍斎貞水さんによる講談「荒木又右衛門」

 YouTubeにこんなすごい動画がアップロードされていました。

 「講談・湯島道場」其の二/荒木又右衛門

 (残念ながら今は非公開になっています)

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 人間国宝 一龍斎貞水さんによる講談で、「伊賀の水月 荒木又右衛門」のうち「戸塚焼餅坂 鷲津七兵衛との出会い」の部分。

 桑名 七里の渡しで出会った池田藩 渡辺靭負(ゆきえ)一行とともに江戸へ向かった荒木又右衛門が、途中の戸塚において渡辺靭負に代わって鷲津七兵衛と対決するのが肝になるところです。

 

 冒頭の解説によると、こうした武芸物は前座の人による演目で、取り上げる武芸者によって講談の流派がわかるらしいです。たとえば、荒木又右衛門なら一龍斎、宮本武蔵なら神田、塚原卜伝なら宝井といったこと。いろいろ勉強させていただきました。

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2020年6月 5日 (金)

宮本武蔵に勝った荒木又右衛門(立川文庫・寛永御前試合)

 『剣法名誉侠客倚人鑑』という番付で、西大関の宮本武蔵の上を行く東大関の荒木又右衛門(あらきまたえもん)。「荒木の前に荒木なく、荒木の後に荒木なし」と謳われる傑出した剣士です。それほどまでに庶民の人気を集めていたのを示すのが、立川文庫(たつかわぶんこ)「寛永御前試合」で描かれている宮本武蔵との一戦。講談の上でのことではありますが、宮本武蔵が生涯で勝てなかったのはこの試合だけとされています。

 この講談本におけるこの試合の部分を抜き出すと、次のようになります。

「第三番に立ちいでたるは、神面(しんめん)二刀流の元祖 宮本武蔵、及び荒木又右衛門吉村との試合、だんだん勝負は面白くなってくる。

ところで、この武蔵と又右衛門との履歴については、ずいぶん面白いところがたくさんあるが、立川文庫第四編において、伊賀水月荒木又右衛門、同第九編に、豪傑宮本武蔵と題し、詳細弁じつくしてあるから、ここには両人の伝記を略することにする。

両豪傑は悠然として庭前へ進み出る。将軍始め一同は、これぞ当日の書入れ勝負と、固唾を呑んで肩肘いからせ、瞬きもせず見物する。両人はかねて懇意の間柄ゆえ、丁寧に会釈をなし、荒木又右衛門は二尺三寸の木剣(ぼっけん)、宮本武蔵は例の右剣左剣を携え、行司の軍配引くとともに、東西に立ち分かれ、荒木は中段、武蔵は右剣左剣を天地に構え、エイヤッと互いに睨み合ったるその有様、どこに一点鵜の毛で突いたほどの隙もない。

何しろ天下無双の豪傑同士、エイヤッと気合を掛け合うことおよそ一時ばかり、双方呼吸を計っていたが、かくては果てじと荒木又右衛門、エイと激しく打ち込む木剣、武蔵は右剣でガッキと受け留め、左剣は早くも又右衛門の小手をねらって打ち掛かる、又右衛門もさるもの、ハッシと打ち払い、打てば開き開けば付け入り、千変万化虚に実に、荒木に鬼神の勢いあれば、宮本は又摩利支天を示し、その早きこと電光石火、互いに負けず劣らず、ここを先途と闘ったが、今しも又右衛門がエイと大喝諸共に、打ち込んだる鋭き太刀先き、武蔵は十字にカッキと受けたが、あまり打ち込みようが激しかったものだから、図らず十字の構えが破れ、右剣を思わず打ち落とした、シテ遣ったりと又右衛門、畳み掛けて斬りこむ勢い、宮本武蔵はしまったりと、一足後に飛びすさり、左剣を右手に持ち替えるが早いか、カッキと又右衛門の太刀を受け留めておいて、(武蔵)「参った…」、又右衛門も後へ飛び下がり、(又右衛門)「イヤ、怪我の功名、とても我々の及ぶところにあらず、」(武蔵)「イヤイヤ、恐れ入ったるお腕前、それがしの及ぶところにあらず」と、互いに挨拶をする。

見物はただもう酔えるがごとく、ワアワアと喝采の声は殿中もために揺るがんばかり。これは荒木又右衛門が無論十字の構えを破ったから勝ちになったのではあるが、両刀あればこそ武蔵も豪(えら)いが、一本同士になっては到底荒木には敵わない、しかし武蔵もナカナカ豪いところがある、咄嗟の場所にでも、武術のたしなみを忘れず左剣を右手に持ち替えて受け留めたという、余人ではできない働きであると、小野治郎右衛門は将軍 家光公の前に出で説明して、居る一同も成程と合点して、「さすがは天下名代の豪傑同士、見て居ても骨が折れる」と、感ぜぬものは一人もなかった。」

 当時、荒木又右衛門は30歳台半ば、宮本は50歳前後で、歳は少し離れていますが、この一節を読んで、二人がよきライバルであったことが窺われる名勝負だと感じます。


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2020年5月12日 (火)

疫病除けのご利益がある大鳥神社(滋賀県甲賀市)

 近頃 新型コロナウイルスの影響で気分が落ち込んでいるので、先日神頼みをしようと滋賀県甲賀市鳥居野にある大鳥(おおとり)神社へ行ってきました。

 疫病除けの神様として親しまれているというのが、お参りの理由です。

 この神社の由緒には、元慶六年(882年)平安初期に伊賀国阿拝郡河合郷篠山嶽より大原中に勧請※され、その後現在地に移し祀られたと記されており、伊賀市馬場にある陽夫多(やぶた)神社と関係が深いものと思われます。

   ※勧請(かんじょう):神仏の来臨を請うこと

 大鳥神社の近くはよく通っているものの、訪れたのは初めてのことで、立派な拝殿や京都八坂神社のものに似た朱塗りの楼門に驚かされました。

 今の時期は訪ねる人も少ないらしく、静かな参道を辿って参拝することで、気持ちを落ち着けることができたように思います。


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2020年4月29日 (水)

世阿弥の夢跡一紙(むせきいっし)

 能の大成者 世阿弥(ぜあみ)の息子である観世元雅(善春)は、37歳の若さで伊勢の安濃津(今の津市)で北朝方の刺客に殺害されました。この「夢跡一紙」は息子の元雅を失ったことに加えて、観世座再建の望みを断たれた世阿弥の深い悲しみを表現した名文であると言われています。

 「夢跡一紙」の碑は、伊賀市守田町の八幡神社(はちまんじんじゃ)境内にあり、説明文によると、観阿弥、世阿弥が、この八幡神社の神奈備の丘で生まれているということ、また、その末裔にあたる方が八幡神社の氏子総代であるという縁から、平成9年(1997年)に造られたものだそうです。

 私は、名阪国道(国道25号自動車専用道路)上野インターチェンジのすぐ近くにこんな立派な神社があることを長らく知りませんでした。初めて訪れたとき、「夢跡一紙」という素晴らしい文の碑があって感動したものです。普段は訪れる人も少ないところであり、それがむしろ観阿弥、世阿弥の時代に思いを馳せるのにはよいのかもしれません。

 この八幡神社から名阪国道を越えた北西方向にある世阿弥公園内に、世阿弥が楠木正成の血族であることを示す「世阿弥の母像」が設置されています。

 八幡神社駐車場の位置(上野インターチェンジから国道368号を名張方面へ向かい、そば処御嶽を過ぎてすぐを左折、Uターンするような感じで北へ向かい、九品寺、八幡神社の石段を過ぎてすぐを右へ)

【夢跡一紙の碑↓】

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【説明文↓】

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【八幡神社↓】

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【八幡神社の参道↓】

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2020年4月24日 (金)

講談「荒木又右衛門(あらきまたえもん)」

 伊賀市荒木に生まれた荒木又右衛門は、江戸時代ナンバーワンの剣士で、吉川英治氏の創作小説である「宮本武蔵」が世に出るまでは、その地位は不動のものであったと思われます。

 そのことは、丸谷才一氏が「食通知ったかぶり」で紹介している『剣法名与侠客倚人鑑』という番付において、宮本武蔵が西の大関であるのに対し、荒木又右衛門は東の大関とされ、最上位に位置づけられていたことでもわかります。

 この伊賀が誇る剣豪 荒木又右衛門の鍵屋の辻での三十六人斬りが講談でどのように扱われているのか関心があったので、その講談本をヤフオクで購入してみました。昭和33年(1958年)3月に東京ゆうかり書房が発行した「長篇講談 剣豪列伝集 荒木又右衛門」というもの。クライマックスとなる「仇討本懐」の部分は末尾に掲げました。

 「斯くて又右衛門は斬りも斬ったり三十餘人、手當り次第に斬捨てましたから、全身返り血を浴びて悪鬼の如き有様でございます。」など迫力ある表現で、惹きつけられるものがあります。

 平成18年(2006年)に三重県伊賀県民センター主催により旧崇広堂旭堂南青さん(現 旭堂南龍さん)の講談が短縮版で行われ、その気迫のこもった語りを目の当たりにして感銘を受けた憶えがありますが、一度全篇を鑑賞してみたいものです。

 一方で、三十六人斬りが誇張であるとの夢のない説明があるのは残念な限り。元々三十六は多数、大勢という意味合いで使われうる数字であるので、そんな些細なことに着目するのでなく、味方よりはるかに多い人数(しかもその中には川合甚左衛門、櫻井半兵衛という当代一流の武芸者がいる)の敵に敢然と立ち向かった勇気に対し喝采を送るのが自然な反応です。そして、このことがヒーローとして尊崇され続ける所以であると思います。

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2020年4月11日 (土)

JR伊賀上野駅舎

 この駅舎は、明治301897)年に建築されたとても貴重なものです。雑誌サライ19956月号のトピックス「残してほしい鉄道文化 明治生まれの現役駅舎」という特集の中で、三重県最初の駅である柘植(つげ)駅とともに取り上げられました。こうした120年以上も美しく使用されている駅舎をぜひ後世まで維持してほしいものです。

 駅舎に向かって右横には、屋根が銅板葺きの大層立派なトイレが設置されています。これは伊賀上野駅の近くでガソリンスタンドを経営する岡崎直次さんという方が平成19年(2007年)に寄贈されたもので、約4,000万円もかけた豪華なもの。屋根の上に取り付けられた東大寺大仏殿張りの鴟尾(しび)がきまっています。

 伊賀上野から大阪の天王寺まで関西本線を利用して1時間30分(伊賀上野から加茂(京都府)まで35分程度、加茂から天王寺までは大和路快速で50分程度)ぐらいなので、大阪へ行くのに結構便利。鉄道は渋滞を心配することなく時間どおり着くのが大きなメリットだと思います。

【JR伊賀上野駅舎と関西本線ディーゼル車↓】

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【JR伊賀上野駅の豪華なトイレ↓】

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【雑誌サライ 1995年6月号の記事↓】

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※上が柘植駅、真ん中が伊賀上野駅、下が加茂駅です。残念ながら加茂駅舎は取り壊されて、新しいものに代わっています。

 

【伊賀神戸(いがかんべ)行きの伊賀鉄道 忍者電車↓】

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 20098月の写真↓】

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2019年7月21日 (日)

聖林寺(しょうりんじ)の十一面観音菩薩

 先日(2019.7.15)、曽爾(そに)高原温泉 お亀の湯へ行った後、奈良県桜井市にある聖林寺へ周りました。

 

その目的は、十一面観音巡礼(白洲正子著)の最初に出てくる同寺の十一面観音菩薩を拝観すること。本堂から階段で少し上がったところの収蔵庫に安置されています。他に参拝の方がいなかったので、天平の息吹を感じながらじっくり拝観させていただきました。

 

【聖林寺 十一面観音菩薩↓】

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本尊の子安延命地蔵は約2.4mの高さの丈六坐像で、堂々たる風格です。

 

【聖林寺 子安延命地蔵↓】

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門前の説明書きによると、同寺から北を向くと三輪山(みわやま)とともに卑弥呼の墓ともされる箸墓古墳を見渡すことができるとのことであり、歴史のロマンとともに素晴らしい景観に感じ入ることができました。

 

【聖林寺門前から三輪山を望む↓】

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2018年10月 8日 (月)

三十三年に一度の開帳「櫟野寺の秘仏 十一面観世音菩薩(滋賀県甲賀市)」

 三十三年に一度となると、どうしても行ってみたくなります。もう生きている間に見られることはないというのがインセンティブとなって、今日(2018.10.8)拝観に行ってきました。


 その櫟野寺(らくやじ)の秘仏 十一面観世音菩薩は像高が3mの丈六坐像、堂々とした御本尊です。


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 丈六と言えば、昨年(2017年)奈良国立博物館で展示された伊賀市大山田にある新大仏寺の御本尊が思い出されます。


 また、伊賀市島ヶ原にある観菩提寺(正月堂)の秘仏である御本尊も三十三年に一度ご開帳ということで2015年に拝観に赴きましたが、今後も近場でこうした情報があれば訪れることになるのだろうなと思っています。

 

 今回櫟野寺を訪れるのに合わせて、甲賀三大仏あと二つの大仏「十楽寺(じゅうらくじ)阿弥陀如来坐像」「大池寺(だいちじ)釈迦如来坐像」も巡ってきました。車で回ってちょうど半日程度のコースです。


【甲賀三大仏↓】

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