伊賀市出身の千代の国が大相撲十一月場所で二桁10勝の勝ち星
両国・国技館で開催された大相撲十一月場所千秋楽(2020年11月22日)、千代の国は小手投げで勝ち、10勝5敗の素晴らしい成績となりました。
2019年初場所での左膝複合靱帯(じんたい)損傷という大ケガから復活してきただけに、優勝に匹敵する価値ある二桁勝利だと思います。
格闘技である以上、ケガはつきものですが、何とか大ケガは避けて、次場所以降さらに活躍してほしいものです。
両国・国技館で開催された大相撲十一月場所千秋楽(2020年11月22日)、千代の国は小手投げで勝ち、10勝5敗の素晴らしい成績となりました。
2019年初場所での左膝複合靱帯(じんたい)損傷という大ケガから復活してきただけに、優勝に匹敵する価値ある二桁勝利だと思います。
格闘技である以上、ケガはつきものですが、何とか大ケガは避けて、次場所以降さらに活躍してほしいものです。
私はプロ野球の阪神タイガースを応援して、かれこれ五十数年になります。ファンになったきっかけは村山、バッキーという両輪のピッチャーでした。
私が応援する気持ちが強すぎるので、そういう印象になっているのかもしれませんが、この球団はとにかくここ一番に弱い。ここで勝てば優勝に近づくという試合を見事なほどに落としてきました。
今年(2020年)も読売が独走していますが、先日の阪神巨人の4連戦で全部勝てば微かに優勝の望みがつながると期待されていたのに、やはり1勝2敗(1試合は雨天中止)で惨敗。いつものこととは言え、残念なことです。
期待どおりに勝ち続けて日本一になったのは、ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布がいた昭和60年(1985年)だけ。もう一度ぐらいは大試合に勝てない精神的な弱さを克服して日本一になってほしいものです。
そのためには、ランディ・バースのような、弱点なく右にも左にも軽くホームランを打てる選手が出てくるのを期待するしかなさそうです。
伊賀フットボールクラブくの一は、昨日(2018年10月7日)、三重県伊賀市にある上野運動公園競技場で行われたスフィーダFC世田谷戦を1対0で制し、 2018プレナスなでしこリーグ2部の優勝と来シーズンの1部リーグ復帰を決定しました。
伊賀FCくの一は福井しあわせ元気国体にも三重県代表として出場し、連戦を重ねて10月4日に優勝を果たしており、こうしたハードスケジュールの中で、今回なでしこリーグ2部の優勝を決めたのは素晴らしいことと思います。
来シーズンは、1部リーグで日テレ・ベレーザやINAC神戸レオネッサといった強豪チームを打ち倒し、上位進出を果たしてほしいものです。
(伊賀タウン情報ユーのホームページから)
カナダ・モントリオールで開催された2017年世界体操競技選手権の種目別決勝(跳馬)で、沖縄出身の安里(あさと)圭亮選手が6位となりました。金メダルの白井選手の活躍は言うまでもなく素晴らしいものでしたが、安里選手の世界6位もすごい成績だと思います。
安里選手は伊賀市服部町にある相好(そうごう)体操クラブ伊賀教室で、子どもたちを指導されています。こんな近いところに世界レベルの選手がおられるなんて驚きですね。
今、阪神タイガースで大車輪の活躍をしている桑原謙太朗(くわはら けんたろう)投手は、名張小学校、名張中学校を卒業後、桑名市にある津田学園高校(今年(2017年)夏の甲子園に出場)、奈良産業大学を経て、プロ入りした高速のスライダーを武器とする素晴らしい投手です。2008年1月 伊賀タウン情報YOUの記事
今シーズンの昨日(2017.8.3)までの成績は、防御率0.82、ホールド(中継ぎ救援)25と、今年 調子のよい阪神のピッチャー陣の中でも出色のものです。
昨日(2017.8.3)の広島戦でも、6回裏 ワンアウト1塁3塁のピンチに登板し、エルドレッド選手をショートゴロの併殺打に仕留め、続く7回裏も3者凡退に打ち取るという力強いピッチングでした。
これからも阪神の勝利に貢献してもらえるよう しっかり応援したいと思います。
この試合は、残念ながら9回に広島に同点に追いつかれて12回引き分けになってしまいましたが、11回裏ツーアウト満塁で阪神 岩崎(いわざき)投手が広島 菊池選手を3球三振させた3球目。気迫のこもったインコース ストレートにはしびれました。
私は村山、バッキーの時代から50年以上も野球は阪神タイガースのファンなのですが、先日亡くなられた阪急ブレーブス 上田利治監督のことが日経新聞(2017.7.13付け)の逆風順風というコラムで取り上げられていたのを読んで、阪急がとても強かった時代を思い出しました。
このコラムでは、1971年の巨人との日本シリーズ第3戦(後楽園球場)9回裏に焦点が当てられていて、この場面は私もはっきり憶えていますが、阪急のエース 下手投げの山田がツーアウト1塁3塁から王に逆転サヨナラ3ランを打たれた試合です。
このとき上田さんは阪急のコーチ(監督は西本幸雄氏)で、王のホームランよりも その前の長嶋にゴロでセンタ―前に打たれたヒットを悔いていたということです。というのは、長嶋のゴロのヒットは7~8割が二遊間で、ショートの守備位置は二遊間寄りに守る手はずになっていたのに、直前の3塁線のファウルに引きずられてショートが二遊間に寄り切れず、長嶋のゴロをヒットにしてしまったからです。
あと一歩 二遊間に寄るよう指示できなかったことを35年後にも悔いている、その上田さんの執念が目に浮かぶように記されたコラムでした。
こうした苦い経験も糧にして、その後 阪急は黄金時代を迎えたわけですが、数々の名勝負の中でも私が最も記憶に残っているのは、上田さんが監督をしていた1977年の日本シリーズ、阪急の2勝1敗で迎えた第4戦(後楽園球場)9回表の阪急の攻撃です。巨人が2対1とリードし、既にツーアウト。
この試合は もはやこれまでかと思っていたときに、鉄仮面といわれた代打・藤井が たしか1球も振ることなくフォアボール。そして、その代走・簑田(みのだ)が代打・高井のときに すかさず2塁へ盗塁。ここで高井が期待に応えて みごとなレフト前ヒット。当たりが良すぎて簑田の本塁への突入は微妙と思われたが、巨人のサード高田が中継したキャッチャーへのボールをかいくぐって生還し、同点。その後ピッチャー山田もセンターオーバーの二塁打を放って逆転し、5対2で阪急が勝つ素晴らしいゲームでした。
このシリーズは4戦目の勢いもあってか、結局4勝1敗で阪急が日本一に。3年連続という偉業を成し遂げたのです。
これらの記憶を語り継いでいくためにも、阪急からバトンを受けたオリックス・バファローズには、ぜひがんばってほしいものです。