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2022年11月11日 (金)

名阪国道の建設記録映像(北勢国道事務所公開)

 YouTubeに、名阪国道(一般国道25号自動車専用道路)亀山~天理間が昭和401965)年12月に開通するまでの貴重な記録映像が公開されていました。

 49分の映像を11分に短縮したダイジェスト版ですが、映画の「黒部の太陽」や「海峡」の雰囲気をもった荘厳な作品であることが感じ取れます。

 千日間という短期間で開通した奇跡的な道路であり、三重県と京阪神大都市地域とを高速性・定時性をもって結ぶことで、企業立地や物流で大きく貢献している道路。名神高速道路・新名神高速道路とともに国土軸を形成する国としての重要路線でもあります。

 この記録映像を見ていて、私が小学校低学年のとき、名阪国道開通に合わせて、学校からみんなでお祝いの旗を振りに行ったのを思い出しました。

【名阪国道 開通までの記録映像(YouTube動画)↓】

【開通当初の名阪国道↓】

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コメント

貴重な動画のご紹介ありがとうございます。

千日道路という呼称は、ネット時代になってから知ったと思います。
それまでは、名阪(メーハン)でした。

1:02から1:13まで三重交通バスの走行シーンがあり、「このように25号線も」のナレーションが入りますが。名阪銀座が出来る前のメインストリートだった桑町通り(旧青山街道)から銀座通りへ斜めに抜ける所で、あの火の見櫓の上からの撮影だと思います。「伊賀上野」の方向幕は現在のJR伊賀上野駅前バス停行で、市内の中心地行きは「上野産業会館」の方向幕だった筈です。

その昔、旧友が親父から聞いたエピソードとして、開通当初の上野インターは名張街道と平面クロスだったと言い張ってたのを思い出しました。10:17あたりを見ると立体交差になっていて、長年の謎が解けた次第です。

moni5187さん、コメントありがとうございます。

三重交通バスの走行シーンは、そのとおりですね。もう一度見直してみると、バスが以前の朝日餅のお店と明文堂書店の間を通って、駒井精肉店の交差点を坂森仏壇店の方へ左折していく映像であることがよくわかりました。

「千日道路」の異名は、名阪国道の開通当時、盛んに使われていて、そのあたりのことは伊賀路の歴史地理を取り上げた「秘蔵の国(福永正三著)」という書籍に記述されています。

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