世阿弥の夢跡一紙(むせきいっし)
能の大成者 世阿弥(ぜあみ)の息子である観世元雅(善春)は、37歳の若さで伊勢の安濃津(今の津市)で北朝方の刺客に殺害されました。この「夢跡一紙」は息子の元雅を失ったことに加えて、観世座再建の望みを断たれた世阿弥の深い悲しみを表現した名文であると言われています。
「夢跡一紙」の碑は、伊賀市守田町の八幡神社(はちまんじんじゃ)境内にあり、説明文によると、観阿弥、世阿弥が、この八幡神社の神奈備の丘で生まれているということ、また、その末裔にあたる方が八幡神社の氏子総代であるという縁から、平成9年(1997年)に造られたものだそうです。
私は、名阪国道(国道25号自動車専用道路)上野インターチェンジのすぐ近くにこんな立派な神社があることを長らく知りませんでした。初めて訪れたとき、「夢跡一紙」という素晴らしい文の碑があって感動したものです。普段は訪れる人も少ないところであり、それがむしろ観阿弥、世阿弥の時代に思いを馳せるのにはよいのかもしれません。
この八幡神社から名阪国道を越えた北西方向にある世阿弥公園内に、世阿弥が楠木正成の血族であることを示す「世阿弥の母像」が設置されています。
八幡神社駐車場の位置(上野インターチェンジから国道368号を名張方面へ向かい、そば処御嶽を過ぎてすぐを左折、Uターンするような感じで北へ向かい、九品寺、八幡神社の石段を過ぎてすぐを右へ)
【夢跡一紙の碑↓】
【説明文↓】
【八幡神社↓】
【八幡神社の参道↓】