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2017年4月28日 (金)

観阿弥・世阿弥は楠木正成の血族

  20163月から産経新聞で連載中の「楠木正成考」。

 

 昨日(2017.4.27)の記事では、楠木正成と伊賀が誇る能の大成者 観阿弥・世阿弥との関係が取り上げられていました。

 

 神戸市中央区にある湊川神社神能殿と呼ばれる能楽堂に、次の系図が掲げられているということです。

 

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 この系図について記事では「正成には妹がおり、伊賀の服部家に嫁いで能の始祖・観阿弥を産んだことを示すものだ。観阿弥は服部家に連なる永富家から嫁をもらい、世阿弥、そして観世流へとつながる家系となった。永富家は現在のゼネコン『鹿島(かじま)』の創業家へとつながる。」とし、「神能殿で紹介されている系譜は、観阿弥の父方の実家、伊賀の上嶋家の古文書から発見された『観世福田系図』と、兵庫県揖保川町(現たつの市)の豪農、永富家の古文書で裏付けられた。」という解説が付記されています。

 

こうした関係を受けて、永富家の後裔である故 鹿島守之助氏(元 鹿島建設会長)のご遺志により伊賀市守田町に世阿弥公園が整備され、世阿弥の母の像が設置されているのは、ごく自然なことと改めて認識しました。

 

【↓世阿弥の母像、世阿弥公園、伊賀市長の石碑(いずれも平成219月撮影)】

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Photo

 

 

【↓世阿弥公園の遠景(平成27年4月撮影)】

 

 ゲートボール場が整備されているようです。

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世阿弥公園の位置(伊賀市守田町)

 

一部の学者には、この楠木正成、観阿弥・世阿弥、永富家が連なる系譜に対する懐疑論がありますが、以前のブログに書いたように、権威主義的な学説よりも民間伝承を大切にする梅原猛さんに「うつぼ舟II 観阿弥と正成」という書物で強力な応援をいただいていることもあり、今後もこの記事の内容が広まっていくことを期待したいと思います。

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