芭蕉は近江商人の恩人
俳聖 松尾芭蕉は、1644年に三重県伊賀市で生まれ、1694年に大坂で死去、大津の義仲寺に葬られたということで、弟子も多い滋賀県との関係は深いものがあります。(ちなみに、伊賀市では「芭蕉さん」と「さん」付けで呼ぶのが普通で、人々が敬う度合いが表われています)
そうした関係性もあって、2017年2月18日号の週刊 東洋経済では、作家の童門冬二さんによる「芭蕉はなぜ近江商人の恩人なのか」という記事が掲載されていました。
勝海舟『氷川清話』がこのタイトルの原点のようで、ここには「(近江商人である)塚本という男のいうには、いわゆる近江商人なるものは、じつにその芭蕉の教導訓示によりてできたものだそうな。※1」と書かれています。
※1『氷川清話』には勝部真長 編と江藤淳・松浦玲 編があって、上記は勝部真長編のものです。
しがぎん(滋賀銀行)経済文化センター発行の「湖/2014年春号・近江の文学風景」によると、近江商人である塚本定次が勝海舟に対し芭蕉が説く「不易流行(ふえきりゅうこう)※2」が商売の極意でもあるとの思いを伝えたため、『氷川清話』での上記の表現につながったのではないかとの推定がなされています。
※2不易流行(ふえきりゅうこう)――「不変のことを知らなければ基礎が確立せず、新しい風を取り入れなければ進展はない、そしてこの両者の根本はひとつである」
一方、童門さんは「不易流行」という理念よりも もっと現実的で、芭蕉の旅は歌枕探求の旅であると同時に、マーケティングの旅でもあったからだとされています。つまり、意図していたかどうかはわからないが、芭蕉は旅先でどのような品物に対するニーズがあるかを十分把握しているので、その情報が近江商人に伝えられ商売に生かされた。このことをもって、「芭蕉は近江商人の恩人」と言えるのではないかということです。
私は『氷川清話』になぜ芭蕉と近江商人の関係が記述されているのか疑問に思っていたのですが、このような童門さんの解釈を読んで、納得することができました。
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