上野東照宮と寛永寺
先日テレビ朝日系列のぶっちゃけ寺で取り上げられていたので、藤堂高虎の関係で上野公園一帯が伊賀上野と縁が深いこともあって訪れてみました。
このあたりの地が「上野」と呼ばれるようになったのは、再校江戸砂子温故名蹟誌(さいこう えどすなご おんこ めいせきし)や十方庵遊歴雑記(じっぽうあん ゆうれきざっき)の記述によると、藤堂家が城主であった伊賀國上野の土地と似ているためであるということです。→詳細は末尾に記載
上野東照宮 は京成上野駅から北へ坂を上っていけば迷うことはないでしょうが、寛永寺 は入り口がわかりにくいので、同寺に併設されている寛永寺幼稚園を目指していくのがよいと思われます。
【上野東照宮 写真】
【寛永寺 写真】
(上野の地名について)
再校江戸砂子温故名蹟誌6巻 忍ケ岡(しのぶがおか→現在の上野公園一帯の古名)の項での記述意訳
「この地のおこりは藤堂和泉守屋敷の屋敷であって、伊賀國上野にある藤堂家の城は三方から上る小高い山にあり、その土地が似ていることから、この地を上野と呼ぶことになった。」
・再校江戸砂子温故名蹟誌6巻.[3] 全文はこちら(国立国会図書館デジタルコレクション)
江戸市中の旧跡や地名を図解入りで説明した地誌である当時のベストセラー「江戸砂子」を校正、誤字訂正したもの。1772(明和9)年刊。
十方庵遊歴雑記第二編 巻の中 第三十七での記述
「寛永寺の境内を上野といふ事は、此地元來藤堂和泉守屋敷にして、藤堂家は伊賀の國上野の城主なりし故也。車坂などいふ名も、伊賀の上野の城内の樣子を摸せし舊名也。」
・十方庵遊歴雑記 第二編 全文はこちら (国立国会図書館デジタルコレクション)
江戸の小石川小日向水道町にある生西寺(しょうさいじ)の住職、十方庵敬順が1814(文化11)年に刊行した地誌。江戸名所図会、新編武蔵風土記稿などとともに、町人文化が盛んになった時期の江戸のガイドブックとして知られる。
« 金魚を使った芸術 アートアクアリウム Art Aquarium | トップページ | 赤福の朔日餅(ついたちもち) »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 中部国際空港へ行ったときのお土産(2024.06.30)
- 阪神百貨店名物いか焼き(2024.04.06)
- きつね煎餅(伏見稲荷大社近くの総本家 宝玉堂)(2024.04.21)
- 伏見稲荷大社から忍者のふるさと伊賀への誘客(JR関西本線など利用)(2024.04.02)
- りくろーおじさんのチーズケーキ クリスマス・バージョン(2023.12.20)
« 金魚を使った芸術 アートアクアリウム Art Aquarium | トップページ | 赤福の朔日餅(ついたちもち) »
コメント