能と伊賀地域との関係
くの一さんのブログによると、今年(平成22年)は9月25日(土)に上野城薪能が開催されるとのことです。
伊賀地域は、観阿弥が伊賀で生まれ、その創座の地が名張の小波多であるということで、能との関わりはとても深いものがあります。
そこで、紹介したいのは、以前のブログでも書いた梅原猛氏の「うつぼ舟Ⅱ 観阿弥と正成」という書籍のこと。
これは伊賀地域にとって非常に重要な書物です。地元の私としては、上記の観阿弥と伊賀地域との関係を全く疑っていなかったのですが、学会では、香西精と表章という二人の学者が誤った推論を徹底して、観阿弥伊賀出生説を抹殺し、また観阿弥が最初に座を立てたのも伊賀ではないとの説を強く主張したために、従来の定説が転換されたということです。
この二人に対して梅原猛氏が「観阿弥・世阿弥の故郷を奪い、彼らを骸骨にしてしまったことに両氏は責任を免れない」として猛反論し、能の大成者である観阿弥の出生地は大和ではなく断じて伊賀である、観阿弥は伊賀に縁の深い上島家、永冨家、南朝の功労者楠正成の親類縁者として当地に生まれ能の一座を立ち上げたのちに初めて大和に進出したと熱く主張するのがこの書物です。まるで観阿弥・世阿弥の霊が乗り移ったかのようと梅原氏自身が記述されるほど熱意のこもったものです。
その中で非常に重く取り上げられているのが、郷土史家の久保文雄(故 久保文武)氏が、伊賀で発見された「上嶋家文書」に関して書かれた論文であり、また相愛大学講師で名張市在住の尾本頼彦氏による同文書に関する論文です。この上嶋家文書から「観阿弥が楠正成の甥として伊賀で生まれた」ことが導き出されるというのがこれらの論文の真髄であり、それに梅原氏は強く惹きつけられたようです。
ということで、伊賀地域にとって、梅原猛氏という大変強力な支援者が現れたわけで、これを契機として再び伊賀説が定説に返り咲くことを大いに期待したいものです。
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