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2017年3月28日 (火)

新大仏寺の重要文化財 如来坐像が、奈良国立博物館へ出張

 伊賀市富永(旧 大山田村)にある新大仏寺の本尊で、重要文化財に指定されている如来坐像(仏師 快慶作の毘留遮那仏びるしゃなぶつ(大仏様))が、奈良国立博物館で開催される特別展に出張されることになりました。出陳品一覧

 

Photo

 

 文化遺産データベースでは、この坐像について次の解説文が掲載されています。

「俊乗坊重源が、建仁年間(一二〇一~三)に開いた伊賀新別所(新大仏寺の前身)には快慶作の丈六の阿弥陀三尊立像が安置されていたことが知られているが、この像は、江戸初期に損壊して中尊の頭部と石の台のみを残すだけであったところ、享保年間(一七一六~三五)、京仏師祐慶がこれらを生かして現在のように再興したという。その頭部は正に創建時のもので、鎌倉時代快慶最盛時の作風と巧緻な技倆が明瞭に看取され、また内部には、「大和尚南無阿弥陀仏」(重源)、「大仏師安阿□□」(快慶)の名が記されている。基壇もその表面に浮彫された図様に中国宋様石刻の顕著な影響をみることができ、唐本によるという本像創建時の姿を偲ばせる重要な遺構である。」

 

 先日の伊賀上野ケーブルテレビのニュースで見ましたが、高さが3m近くもある坐像ですから、搬出作業は大変だったようです。

 

特別展 快慶 日本人を魅了した仏のかたち

会期:平成2948日(土)~平成2964日(日)

会場:奈良国立博物館 東新館・西新館(奈良市登大路町50番地)

交通アクセス

 

 上記の解説文にも見られるように、16355月に山崩れで寺が埋没し、発掘された像の首のみが安置されている時期に松尾芭蕉が訪れたようで、そのときの情景が詠まれたのが次の句です。(詠年:貞享5年(1688年))

 この句を念頭に拝観させていただくと、よりこの坐像のもつ重みを感じることができると思います。

 

「丈六(ぢゃうろく)にかげろふ高し石の上」

(小学館 松尾芭蕉集①による評解)

 春愁(しゅんしゅう)さえ もよおす晩春の一日、新大仏寺の跡を訪ねてみた。ものみな昔に変る廃墟の中、わずかに残る石台の上に、いたずらに高く陽炎(かげろう)が燃え立っている。思えば このまぼろしに似た陽炎のみが、在りし日の丈六の尊像の俤(おもかげ)をしのぶ よすがなのである。「枯芝や やゝかげろふの一二寸」に徴しても明らかなように、「陽炎高し」には晩春の余情がある。つまり「陽炎高し」は、四時(一日の四つの時)の移り変りと、人の世の栄枯盛衰とを、合せて象徴しているのであり、そのことにより、一句の詩情は、造化(宇宙)の運行の中における人間の運命に対する詠嘆にまで高めているとみられる。季語は「かげろふ」で春。

 

※丈六:仏像の背丈の一基準。仏は身長が16 ( 4.85m) あるといわれることから仏像も丈六を基準とし,その5倍,10倍,また2分の1などに造像された。坐像の場合の丈六像は半分の約8 (2.43m) ,半丈六像は約8尺の立像。

 

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